【窪田 邦彦(くぼた・くにひこ)プロフィール】

昭和42年7月17日生まれ 静岡県三島市出身 

小学校は、転居や新設により、2年毎に違う学校に通う。いい事もするけど悪い事もする、裏のリーダーみたいな存在で、先生には扱いにくい子供だったようだ。
中学校では、卓球部に入ろうとしていたが、親友がバスケ部に入ったため、バスケットボールを始める。生まれて始めて捻挫をして、びっくりする。キャプテンとなったが顧問と喧嘩ばかり。

高校入学時に、サッカー部に入るつもりで見学していたら、中学校の先輩に無理矢理バスケ部に連れて行かれて仮入部。逃げ切る事が出来ずに本入部。入部後、捻挫、腰痛に苦しみ、一時はマネージャーになる。この時、テーピング等を知り、おぼろげながらトレーナーという職業を意識するようになった。辞める、辞めないで顧問と喧嘩し、復帰後も干されて、試合に出してもらえない日々が続いた。顧問が転勤し、スタメンを奪取。県大会ベスト8にて敗退。

引退後、本格的にトレーナーの道を目指し、筑波大学を狙うが、勉強が中途半端だったため、共通一次試験にて大失敗し、断念。地元の静岡大学へ進む。友人に恵まれ、楽しい時を過ごす。バスケに対しては、かなり適当で、練習も良く休んでいた。4年生最後の納会で、監督に暴言を吐き、除名処分になる。

トレーナーの道を諦める事が出来ずに、筑波大学大学院を受験するも不合格。悩んだあげく、筑波大学で研究生をして、大学院合格を目指す事にする。

筑波大学に行き、日の丸のジャージを着た選手がうろうろしているのを見て、感激。トップ合格を目指し、研究生時代1日に12時間以上勉強する日々を過ごし、無事合格。残念ながら、トップ合格ではなかったらしいが、まずまずの順位だったと教授に褒められる。

大学院では、球技選手の反応時間の研究をする傍ら、大学院の仲間とバスケのサークルを(体育館を利用させてもらうため団体名は『球技勉強会』)を作る。この時期に、コンディショニングコーチという職業を知り、トレーナーから方向変換をする。大学院修了後、博士課程を勧める教授に従わずに、一時破門に近い状態になるが、自分の意志を押し通し、筑波を後にする。

姉が嫁いだ実家が経営している横浜のアパートに居候しながら、ドイツのケルン体育大学入学を目指して、青山のドイツ語学校に通う。しかし入学を1週間間違え、出遅れてしまい、劣等生としてつらい日々を過ごす。この時期に、師匠北本文男に出会い、人生の方向変換をすることになる。ドイツ行きを無期延期し、NKKバスケットボール部のコンディショニングコーチを務める、師匠について勉強することに。車を売却したわずかな金と、練習が休みの日に土方のバイトをして、生計を立てる。

NKKで約1年研修した後、コンディションを担当してくれれば良いと騙され、第一勧業銀行女子バスケ部のアシスタントコーチになる。バスケットボールに関して素人同然のため、ベテラン選手に総スカンをくらい、1年間つらい日々を送る。2年目に、バスケットボールの勉強を猛烈にして、ベテラン選手の信頼を取り戻す。試合中は、観客にうるさいと言われるぐらい、声を出し続けるコーチであった。

4シーズンお世話になった後、妻と結婚するために、福岡に転居。スポーツ整形外科に勤務し、患者さんのリハビリを担当。この時期に、スポーツ医学について、かなり勉強をした。休日を利用して、試合会場に行き、高校生チームのサポートを始める。約3年後、どうしても、トレーニング指導だけで生活をしたくなり、独立を決意、円満退社(多分)。しかし独立後、最初の1ヶ月の報酬は2万円。現実の厳しさを知らされる。周りの人に支えられながら、仕事が少しずつ増え、何とか生活出来るようになる。

フリーで約3年活動後、自分たちの将来を考え、仲間と共にベストコンディションジムを開設。その後、アスリートが本気でトレーニング出来る施設がない事に気付き、途中からアスリート専門ジムとする。ジム開設3周年を機に、我々の仕事を社会的に認知させるために法人化。

現在も、自分の夢を実現するために、自分と格闘中!

 

【指導実績】

【非常勤講師】

【執筆活動】

■雑誌

コーチングクリニック(ベースボールマガジン社)

バスケットボールマガジン(ベースボールマガジン社)

熱中バスケ部(ベースボールマガジン社)

■書籍

【資格等】